その女は言った。

「そうだ!旅に出よう!!」









て ぶ く ろ








「ひえ〜寒ぃ〜。」

春が近づいているというのに、この冬の気候は何も変わらない。

人通りの少ない通学路を一人歩けば、冷たい風が俺の顔を撫でていった。

寒い、寒い、寒すぎる。

あまりの寒さでマフラーに口もとをうずめるけど、やはり寒いのは変わらなかった。

暖冬だとは言うが、やはり冬。寒いことに変わりはない。

「おい、雅<まさ>。手袋をよこせ。」

完全防備をしながら歩く俺に、後ろから声がした。

それは昔から聞き覚えのある声で、可愛い声のくせになんて言葉遣いが悪いんだと

思いながら奴を視界に入れる。

その言葉遣いの悪い女、高橋恵美<えみ>はムスッとした表情でそこに立っていた。

「なんだよ恵美。また手袋忘れたのかよ。」

冷え性のくせにと恵美に言い放つと、彼女は表情を変えずに「手袋」と手を差し出してくる。

こいつ、いつもそうだ。



俺と恵美は幼い頃からいつも一緒にいる。

家が隣同士だってのもあるけど、それ以上に両親同士の仲が良かった。

まぁ、簡単に言えば俺達は幼馴染なわけで。

幼馴染から恋には変わらないのかなんて、友達から何度も言われたけど、

俺達の関係が変わることはなかった。



「違うよ。忘れたんじゃないの。家になかっただけ。で、探すのも面倒だったから雅が貸してく れるんだし、いいかなって思って。」

おいおい。

恵美の言葉に半ば呆れながらも、俺は自分の手袋を外し彼女に手渡した。

セーターやコートで埋まっている手を取り出すと、恵美は今までの表情を崩し嬉しそうに微笑む。

昔から変わらない行動。俺達は幼馴染だった。







「お前たち本当に仲が良いよな。」

「本当につきあってないわけ?」

さっき恵美が俺のところに辞書を借りに来たからだろう。純と理枝がそんなことを言ってきた。

恵美はよく忘れ物をするし、俺は恵美とは逆にしっかり者として育ってきたから、

別に珍しくもない光景。

と、いうか。小学生の時からおきまりのパターンなんだけど、

やっぱり理枝のような質問をする奴も少なくはない。

もう言われるのには慣れたけどさ。

からかうのが主な奴らとは違って、純と理枝は自分達の幸せも分けたいんだろう。

先日付き合いだした二人だから、その考えが妙に納得できる。

卒業間近って、そういうの多いよな。

「ないない。ありえないって。」

俺は次の授業の教科書を出しながら、二人に答えた。今まで何度言ってきたかわからない台詞。

二人は俺の返事に半信半疑な表情をして見せた。まぁ、他の奴よりかは仲がよくて。

しかもいつも一緒に帰ってるから、そうやって疑われてもしょうがないか。でもさ。

「今更恵美をそんな目で見れないだろ。」

友達というには少し物足りない気もするけど、恋でも愛でもない。そんな関係。

幼馴染というにも少し申し訳ない気がする。そんな微妙な関係だ。

「そんなもんかな?」

「そんなもん。」

純の言葉に即答すると、何かを思い出したかのように理枝がいきなり尋ねてきた。

「そういえばさ、噂で聞いたんだけど。恵美ちゃんって引っ越すの?」

急な言葉に俺は目を見開いてしまう。一体、どこからそんな噂が広まったんだか。

「それ、岡村と間違えてんだろ?」

少し笑みを浮かべながら答える。

先月恵美と仲が良かった奴が引っ越したばかりだったから、

その話がどこかで恵美と変わってしまったんだろう。

大体、引っ越すなんていったら俺の母親が普通でいられるわけがない。

俺の母親と恵美の母親は特に仲が良いから、そんなことになったら泣いて引き止めそうな気がする。

「ふ〜ん。」

「へへへ、騙されてやんの。」

「うるさい。」

恋人ねぇ……。二人のやり取りを見ながら、少しだけ羨ましさが出てくる。

恋人は欲しいが、今は受験の季節でもあって。高校受験が終わるまでは我慢だな。

そう考えて思い出したこと。そういえば、恵美に手袋を買っていた。

いつも手袋をしないためかテスト中にすぐに手が冷えて、

シャーペンも握りにくくなるんだって言っていたから。

だから彼女のために手袋を買ったんだけど、

手渡すタイミングをなかなかつかめなくて、そのままになっている。

嫌がらせに、夏に渡そうかなんてことも考えてみるが。

……まぁ、そのうちな。







そして卒業式なんてものは、あっという間にやってくるもので。

ぐすぐす泣く女子を横目に、俺は大きくあくびをした。

同じ高校に行く奴の方が多いってのに、泣けるか。純も理枝も同じ高校を受けるし。

会わなくなるのは、受験に失敗する奴か遠くの高校に行く奴。そして最初から諦めてる奴。

それ以外の奴とはまた春から、同じクラスだとかそんなことを言ってる。

また三年は恵美に振りまわされて過ごすんだろうとか、変わらない日常を頭に思い浮かべた。

《私達はこれをもって卒業いたします》

生徒会長の声が響く。それは、この長い時間から解放されたことを表すものだった。







「雅、旅に出よう。」

卒業式が終わった帰り道、その場の雰囲気とは違う言葉を耳にする。

恵美がいきなりそんなことを言うものだから、俺は思わず足を止めた。

「いきなり何言ってんだ?」

「うん。そうだ!旅に出よう!!」

俺が何を言っても聞く気はないらしく、恵美は俺の前をまだ歩き続ける。

一人で納得もしているようだが、俺にはさっぱり意味がわからない。

「よーし!決めたぞ!もう春休みだしちょうどいい!そうとなれば即実行!明日ね!」

足を止めて元気いっぱいに振り返り、恵美はにっこりと笑った。

今日は気温も高めだから機嫌が良いんだろう。本当、わかりやすい奴。

「ダメ。明日は俺、塾だから。」

試験前なんだし。それくらいはわかってほしいんだけど。

「何よぉ〜。最近そればっかで、帰りだって先に帰るし〜。たまには付き合え!!」

「だから……。」

「君に拒否権はないのだ。」

眼鏡をかけるしぐさを手でして、恵美は偉そうに言い放つ。

なんて奴だ。強引というか、なんというか。

こいつのこういうところには、とことん敵わないような気がしてならない。

「しょうがねぇな。」

ため息を一つついて俺がまた歩き出せば、恵美も嬉しそうにまた歩き始めた。

後ろ向きのまま歩く恵美に「こけるぞ」と言えば、案の定段差に足を引っ掛けて彼女はこける。

「ほらな。」

むすっとふくれる恵美にそう言って、手を差し伸べるのはいつものことで。

昔から変わってないと思う。俺も恵美も、二人の関係も。でもこの位置関係はすごく心地よくて。

この先も同じように続いていくんだろうなって考えて、少し笑えた。

恵美は俺の笑いを自分に向けられたやつだと思って、少しむっとしていたけど。







「じゃじゃじゃじゃ〜ん!」

そんな言葉と共に、恵美が俺の部屋に入ってきた。

俺はまだ夢の中という状態なのに、恵美の大きな声で現実に引き戻される。

「こら!起きろ!寝ぼすけめ!ごーはーんー!」

「なんだ、今日はお前の家と一緒かよ……。」

土日はうちの両親も恵美の両親も仕事が休みだから、こういったことがよくある。

母さんは『大勢で食べたほうがおいしいでしょ?』なんて言うけど、そういうのは口実。

本当は本人達が楽しく食事をしたいだけだと思う。

まだ眠い目をこすって、布団の中からもそりと起き上がれば、恵美は更に言葉を放つ。

「今日は雅の大好きなうちの母特製ジャムつきだよ〜。ほらほら目が覚めたでしょ?」

にっと笑う恵美は本当に楽しそうだ。きっと、こいつの人生はいつも楽しいんだろうな。

そんなことを思いつつ、俺は大好物の律子さん特製ジャムのため、

眠い頭を無理やり起こして食事に向かうことにした。

居間に下りると食事はもう始まっていて。

他愛もない話で盛り上がっていたり、いつものような光景が目の前に広がっていた。

でも、何かが違う。何か……というのはわからないけど、直感的にそう思って。

雰囲気がどこか普通と違うような気がしてならなかった。

「雅矢、どうしたの?早く座りなさいよ。」

いつまでも立ちっぱなしの俺に気づいて、母さんがそう言う。

俺は言われるがままに席につくけど、その違和感はぬぐえなかった。

「なぁ、なんかおかしくないか?」

「何がおかしいっての?」

俺の言葉に真っ先に答えるのは恵美。むっとした表情はいつも通りだ。

でも、やっぱり何かがおかしいような感じがして仕方がなくて。

何なんだと考えていると、律子さんがそっと呟いた。

「やっぱり、最後だからかな?」

寂しげに言われたその言葉。俺はその言葉の意味をなかなか理解することができない。

しかし、母さんが一瞬肩をびくりと震わせたのを、見逃しはしなかった。

「どういうことだ?」

「高橋さん、引っ越すんだよ。」

父さんが言いにくそうに俺に教えてくれる。そんなの知らない。俺は聞いていない。

俺の予想外の反応に驚いてか、律子さんは母さんに尋ねた。

「唯ちゃん、言ってなかったの?」

その言葉に、母さんはうつむく。言いにくそうになりながらも、涙声でその理由を述べた。

「だって。りっちゃんがいなくなるのが寂しくて。なかなか言えなくて……。」

母さんは、少し子どものようなところがあると思う。

こうやって、現実をはいはいと受け入れられないところとか、すぐに泣いたりするところ。

可愛らしいといえば、それはそれで良いかもしれないが。

でも、だからって。こんな大事なこと、黙っとくなよ。

「何しんみりしちゃってんの!ほら、ご飯食べよう!」

重くなった雰囲気を明るくしようと恵美が言い出して。

俺達はその通りに、また他愛もない話を混ぜながら食事を始める。

いつもは大好きな律子さんの苺ジャムが、ちっともおいしく感じられなかった。







約束通り俺と恵美は旅をすることにして、昼食を入れた鞄を持つと家を出た。

気まずい雰囲気のまま、俺は何も言い出せなくて。

前を歩く恵美の後ろ頭を、ずっと見ていることしかできなかった。

「到着〜!」

明るく恵美が言い放ったと思えば、小さな公園が目に入る。

公園といっても、砂場と滑り台しかない本当に小さなもの。

俺達の家から一番近い公園、つまりは小さい頃からたくさん遊んできた場所だった。

「お前の旅って何?」

あまりにも目的地が近い所にあって、これが本当に旅なのかと思い問いかける。

まぁ、本当の旅っていうなら、徒歩では行けない場所なんかを想像してしまうんだけど。

恵美が考えることだから、近いとは思っていたが、ここまで近いとは思ってもみなかった。

「まだ目的地はあるの。」

俺の呆れたような口調を気に留める様子もなく、恵美は笑顔で返事をする。

何か考えている時のような笑い方に、どこだと聞こうとしてやめた。

こういう状態の恵美は聞こうと思っても、どうせ教えてくれはしないから。

「っていうかさ。今考えると信じられないよね。こんな砂場と滑り台しかない所で遊んでたなんて。」

砂場の砂を蹴り飛ばして、恵美はそう呟く。土曜日といってもこんな公園だ。

俺達の他には誰もいなくて。静けさで、恵美の声はやたらと寂しそうに聞こえた。

あんなことを聞いた後だからかもしれない。俺はやっぱり何も言えず、恵美の後姿をじっと見ていた。

「何しけた顔してんの!」

俺の様子を感じ取ったのか、恵美は振り向くなり苦笑まじりで言い放つ。

俺、何やってんだ。いつもなら明るく笑い飛ばすはずなのに、そんな言い方をした恵美。

あきらかに目の前にいる彼女は困っていて、そして困らせているのが俺だなんてことは一目瞭然だ。

もうじきこんな風に会えなくなるってのに、こんな反応だめじゃないか。

自分に必死に言い聞かせて、俺は恵美に述べる。

「ただ、ちょっとまだ驚いているだけだって。」

恵美が引っ越す。学校でもそんなこと言っていなかった。

そう思い、そういう噂が流れていると言っていた理枝の言葉を思い出す。

何も知らなかったのは俺だけだったのかなと思えば、少しだけ寂しくなった。

「なぁ、引っ越すって言っても近くで。学校は俺達と同じ所ですとか、ない?」

「あはは。ないね。」

少しの望みを尋ねてみれば、即答されて。

寂しいと思う気持ちが、だんだん増してくる気がした。

「私、嬉しいよ。」

俺の様子などお構いなしなのか、恵美はいつものような笑顔に戻ってそう言う。

恵美の言った"嬉しい"という言葉が、どれに当てはめられているものなのかが俺にはわからない。

「嬉しい?」

「うん。今凄く嬉しいよ。」

ニコニコと本当に嬉しそうに笑うけど、俺には全く理解ができなくて。

問いかけようとしたら、恵美の声に阻まれた。

「よし!次行こう!!」





次に向かったのは小学校だった。

俺と恵美が、一番長く一緒にいた場所かもしれない。

比較的遊具も多かったし、走り回れる広さもあったということもあって。

学校が終わっても、俺達はいつもここで遊んでいた。

近くの公園があんなのだったから、小学校で遊ぶほうが楽しむことができたんだ。

「あ、ブランコあいてる!懐かしい〜。」

小学校に着くなり、恵美はすぐにブランコに向かって走り出した。

そういえばこいつ、好きだったよなぁ。

無邪気にブランコに乗る恵美を隣に、俺もそこに座った。

ゆらゆらと揺れる懐かしい感覚に、小学生の頃の思い出がよみがえる。

「なんかさ、いろいろあったよなぁ。」

「あはは。雅、オヤジみたい。」

「うるさい。」

グラウンドに目をやれば、小学生が元気に走り回っている。鬼ごっこでもしているんだろう。

明るい笑い声に、なんだか和めた。

「私さぁ、初恋って小五だったんだよね。」

「知ってる。井上だろ?」

そうだ。いつもと違う恵美の様子がすごく面白くて。しばらく観察をしたのを覚えている。

「うそ。何で知ってんの?」

「お前顔に出やすいから。」

うそ!恥ずかしい!と声を張り上げる恵美を見て、俺も声を出して笑う。

そういえば俺の初恋もそれくらいだった。色白の可愛い子だったっけ。

今は好きな奴すらいないから、こんな感情も懐かしく思えてしまう。

数年前のはずなのに、なんだか変な感じだ。

「あの時はさ、友達の話とかでも結構楽しめたんだよね。」

そんなことを言い出す恵美に驚いた。初耳だ。

顔に出やすいはずの恵美は、見ていればすぐにわかるはずなのに。

本当はこいつ、いろいろと悩んでいたのだろうか?

「今はさ、恋愛ごとの話をするみんなに、ついていけないっていうかさぁ……。他の話もしろってのにね。」

"本当につきあってないの?"理枝が言っていた言葉。

女子はそういう話がやたらと好きな気がする。

そうだ。なら恵美の方がそういったことを、たくさん聞かれているに決まっているじゃないか。

そう考えれば、何も気づかなかった自分が少し情けなく思えた。

「雅は、男女間の友情ってあると思う?」

「あたりまえだろ!」

不安げに聞かれたそれに、俺は自信満々に答える。

俺達は恋人じゃなくて、キョウダイでもなくて。でも、友達ではどこか物足りなくて。

幼馴染だなんて言葉は、使いたくもなくて。

「さっき嬉しいって言ったじゃん。私ね、雅が私と離れるのが嫌なんだって思ってくれて、嬉し いんだ。変だけどさ。恋とか、そんな感情じゃなくて思ったから。」

安心しきったような恵美の笑顔を見て、ふと思い出した言葉があった。

そうだった。恋とか愛とか家族じゃなくて。でも友達じゃ物足りない。



「俺達、親友なんじゃねぇの?」



そんなふさわしい言葉があったんだ。

難しい問題でも解けたかのような、すっきりとした感覚を味わいながら、

俺は思い切りブランコをこいだ。

聞こえたのは風の音と、恵美の嬉しそうに言う「そうだね」という言葉。

憂鬱な気持ちはどこにいったのか、俺の中にはもうなくて。

もしかしたら、懐かしい風景の中に、風が溶かしていったのかもしれない。

そんなことを思った。







お昼は帰り道に通りかかる土手で食べることにしていた。

寒いってのに、よく外で食べる気がしたなと人一倍寒がりな恵美に問うと、

たまにはいいでしょと返事が返ってきて。

珍しいこともあるものだと、内心驚いた。

「お前、引っ越すっていつ?」

恵美に聞きながら、律子さんお手製のジャムをはさんだサンドイッチを口にほおばる。

今日はたまたま早起きをしたからといって、

母さんと律子さんが二人でそんな弁当を作ってくれていたから。

それがたまたまじゃなくて、わざとだというのは俺でもわかる。

とにかく仲のいい二人は、一緒の時間を増やしたかったんだろう。

「いつだと思う?」

恵美はにこにこと笑いながら、俺の質問に質問で返してきて。

まさか、こうくるとは思わなかった。意外な行動に多少戸惑いながら、俺はその返事を考える。

「二、三日後くらい?」

「ぶぶ〜。今日の午後。」

楽しそうな声と、寂しげな声と両方が返ってきて。俺はまた言葉をなくしてしまった。

そうか、じゃあもうこのジャムも最後になるのかもしれないだなんて。

余計な事を考えてみても、言葉は浮かんでこない。いきなりなことが多すぎる。

でも今日付き合ってよかった。その時、心底そう思った。

「荷物、運び出すの見てねぇんだけど。」

「少しずつお父さんが持って行っていたのです。」

大きすぎるのはこれからだけど。だから気づかなかったのかと、恵美は苦笑を浮かべて俺に言った。

「そうか〜。寂しくなるな。」

今まで一緒にいた分、やっぱり違う場所にいる時間ばかりが増えるのが寂しい。

俺が塾に行きだした時も、帰り道に一人になる時も、それは同じだった。

でも、今回はそれだけじゃないから。

最後のサンドイッチを口に運ぶ。

「午後に行くって言うんなら、そろそろ帰らないといけないんだろ。」

そう言って、サンドイッチを入れていた小さなバスケットを鞄の中に入れた。

すると、そこには見覚えのある袋が入っていて。そうだった。

今日渡さないと、多分ずっと渡せない気がする。

恵美にプレゼントをするはずだったものを手に握り、差し出そうとしたら彼女の声にまた阻まれた。

「だね!帰ろう!」

その時ほど、このタイミングを恨んだことはない。





「恵美〜。早くしなさい。」

家に着けば、もう恵美が行く準備はできていた。

どうやら知り合いにトラックを借りることができたらしく、

父さんと母さんが残りの荷物を運ぶ手伝いをすることになったようだ。

ごめんごめんと言って小走りする恵美の腕を俺はつかんだ。

「忘れてたんだけど。これ。」

チャンスは今しかなかった。

トラックで一気に荷物を運ばなくてもよかったなら、またここで会えたんだろうけど。

世の中うまくいかないなんてことは、よくわかってる。

「手袋?」

袋から取り出されたのは、恵美の好きな白い色の手袋。

少し厚めになっていて、寒がりな恵美にはぴったりだろうと思って買ったんだ。

恵美は、嬉しそうに微笑んで。

「ばかだなぁ。もう必要なくなるのに。」

苦笑なんてなかった。穏やかな笑みを浮かべるだけだった。

車に乗って、手を振って。そして別れを告げる。

別に永遠の別れじゃないことくらい、わかってるから。

会おうって思えばいつでも会えるんだし、連絡だって簡単に取り合える。

でも、寂しさはぬぐえなくて。



涙でにじんだ瞳に映るのは、大きな木々の枝に潜む小さな芽。

そうか、もうすぐ春だった。

恵美の言葉の意味を今更ながら実感する。







彼女が去った道を、春一番が通り抜けた。















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